文・取材:河尻亨一
# 01「すべてが試みの途中ね」とその人は言った
2011年6月、マンハッタン。ミッドタウンにある高層アパートメントの一室で、デザイナーはインタビューを受けていた。
壁にしつらえた大きな棚、テーブルにソファー、資料を整理するための箱にいたるまで、部屋にあるもののすべてが白で統一されている。ここにいると街の喧噪がまるで別世界のように思える、そんな空間だった。
ビルの70階にあるこの部屋の窓からは、セントラルパークを見渡すことができる。ここがその人のアトリエだった。こういったインタビューにつきもののカメラマンや出版社の担当者もいない。
「話す人と聞く人の一対一のインタビューであること。よぶんな立会人はいらない」。それは彼女がこの取材を引き受けるにあたって出した条件だった。
インタビューが始まってからすでに2時間近い。テーブルに置いたスターバックスのコーヒーはもう空になっている。しかし、その人は疲れたようすも見せず、泉のように次の言葉が湧き出てくる。
デザインはサバイブできるか?——取材のテーマはいささかシリアスなものだった。押し寄せるデジタル化の波の中、街中のポスターや雑誌ビジュアルの影響力は失われてゆき、デザイナーはもちろん、プロとしてそういった場で仕事をする人々にとって難しい時代ではある。
さまざまな新しい言葉のあとに、「デザイン」という言葉を継ぎ足した流行語が、世間の注目を浴びては泡のように消えていく。時代の激しい変化の中で、 デザインという行いが何を指すのか? さえもあいまいになっている。
一時の流行りに左右されず、どんな時代をも突破していく本物の力とは何か? 「サバイブ」という言葉には、デザインだけでなく、あらゆる“ものづくり”の原点を見つめ直したいという考えも投影されていた。
そういった質問を投げかける相手として、その人ほどふさわしい人はいないと思われた。半世紀にわたる彼女の創作活動は、とうの昔にデザイン業界の職種の狭い枠を超え、ポスターやパッケージ、書籍のデザイン、映像演出、舞台の衣裳やセットなどさまざまな領域をまたいでいたからだ。
そして、まだまだ現役で新しいプロジェクトに取り組んでいた。仕事が途切れる気配さえない。
その日の話題も広い範囲におよんだ。そのときまさにオープニングを迎えようとしていたブロードウェイミュージカル、製作が進行中のハリウッド映画、かつてコスチュームを手がけたオペラ、オリンピックといったビッグプロジェクト――過去と現在、そして未来の仕事に関するエピソードが情熱的に語られ、その声がこの白い空間を埋めていく。
いつしか話は具体から抽象へと深まった。「クリエイターとして、人としていかに生きるべきか?」といった内容へと。それにつれ、デザイナーの言葉はさらに熱を帯びていった。
Timelessというキーワードが繰り返し語られた。それは彼女が半世紀におよぶキャリアの中で追求してきた創作のテーマであり、このインタビューのテーマに対する答えでもあった。
Timeless――「時代を超えて・時に流されず」といった意味だ。その人のクリエイションに接した人々は、たいていその迫力に圧倒される。人によっては「美しい」という言葉だけにおさまらない何か――ときをへて古びない力強いものがそこに宿っているのを感じる。
デザイナーはミケランジェロをリスペクトしていると言った。確かにバチカンのシスティーナ礼拝堂の画やピエタなどは、それを極め尽くした何かだと言えるかもしれない。
時間だけではない。人種や国境も超えているのでは? ワールドワイドな数々のプロジェクトを成功させてきたその人のキャリアを考えると、そんな感想さえふと浮かぶ。
頃合いを見てインタビュアー、つまり私はひとつの質問を投げかけた。「なぜ“Timeless”である必要があるのですか。どうすればそれをクリエイションの中に宿らせることができるのでしょう?」
愚直な問いだという気もしたが、こういったストレートで到底通らなさそうなパスが、ときに思いがけぬシュートに結びつくこともある。
話し手と聞き手のあいだに、それまでの和やかなムードとは異なるピリッとした空気が生まれた。やや間をおいて、石岡瑛子はきっぱりこう言った。
「それはね、私にとってもミステリーなんですよ」
真っすぐなアンサーだった。石岡はいかなるミッションに対峙するときも“真剣勝負”で知られるアーティストだ。彼女はあらゆる仕事に対して常に完璧な仕上がりを求め、こういったインタビューの場であっても決して気を抜くことはない。
依頼主のテーマやプランを吟味し、取材のオファーを受けた場合でも、想定される質問内容を事前に読みこみ、多量のメモを用意するなど入念に段取りした上で臨む。
そういった仕事ぶりはずっと前から伝説になっていた。
その完璧主義は仕事だけでなく生き方においても貫かれていた。デザインの仕事仲間だけでなく、インタビュアーにとっても最強に手強い相手である。
彼女は「お手合わせ」という言葉を好んだ。映画監督のフランシス・コッポラや張芸謀(チャン・イーモウ)、ミュージシャンのマイルス・デイヴィスやビヨークといった巨人たちとの奇跡的コラボレーションもそのスピリッツでものにしてきた人だが、著名な人物だけでなく一介のインタビュアーに対しても本気のお手合わせを望むところがあった。
次の言葉を待ちながら、私は「ここが今日の山場だ」と感じていた。創作の奥底にある秘密は言葉にできるものではない。だからこそクリエイションなのだ。石岡の言った“ミステリー”はその意味でパーフェクトな回答だったわけだが、謎であるならば知りたくなってしまうのが取材者の性というものでもある。
だが、インタビューは2時間の約束であり、その時間はすでに超過している。「そろそろ話を切り上げるべきか?」と考え始めたとき、彼女は言葉をこうつないだ。
「私は本能的な人間なんだと思うんだけれど、本能っていうのはミステリアスで仕方がないわけね。長い時間の積み重ねの中で自分が見てきたもの、作ってきたものがからだの中に取り込まれていて、つつくとそれがバンと出てくる。
流行は大嫌いだから追わない。人の真似も絶対にやりたくない。その上で自分のやりたいことを表出するにはどうすればよいかを考えてる。"Timeless"というのはそういうことと関わりがあるのかもしれませんね。でも、『どうやれば"Timeless"なものが作り続けられるか?』と言うと、それは自分のからだの中から出てくるものだから、やっぱり答えはないんです。その意味ではデザイナーもアスリートと同じなんですよ」
まったくその通りだ。ウサイン・ボルトに「なぜ100メートル9秒58が記録できたのか?」とたずねても、本当の答えは出てこない。それは神のみぞ知るマジカルな領域だ。しかし、「卓越した人とふつうの人を分けるのは、何かに打ち込んだ量の差だと思う」というイアン・ソープの言葉もあるように、最高のパフォーマンスの裏側には、たいていおびただしい量のトレーニングが隠されている。
石岡が尊敬していると語ったミケランジェロもこう言っている。
「私がこの芸術の域に達するまでに、どれほどの努力を重ねてきたかを知れば、だれも芸術家になりたいなんて思わないだろう」
石岡は鍛錬という言葉をよく口にした。「デザイナーもアスリートのように自分を徹底的に鍛える必要がある」というのである。彼女は仕事、つまりクリエイションという行いに対して極めてストイックだった。
美大生の頃から「この世界でサバイブするにはどうすればよいか?」を思い悩み、そのために「自分にしかできないことをやるべきだ」とのポリシーにいたったのだという。仕事を始めてからも、彼女にとってはすべての日々がトレーニングだったはずだ。
その走り込みっぷりが伝わる興味深いエピソードも話してくれた。ある日、マイルス・デイヴィスから「エイコ、マイケル・ジャクソンのライブを一緒に見に行かないか?」とのお誘いを受けた彼女は、即座にそれを断ったという。
理由はもちろん「仕事があるから」である。デリケートで気難しく、すべてが自分の意のままになると思っている俺様タイプ。そんなキャラクターを絵に描いたような人柄で知られるモダンジャズの偉人も、このリアクションには驚いたに違いない。
「サバイブ」も石岡にとって重要なテーマだった。「デザインを何かカッコいい仕事、金になる仕事みたいに思って、そういう動機でこの世界に入れば、当然生存は無理ですよ」と彼女はこともなげに言う。
“創造のアスリート”としての石岡は、長距離ランナーを自認してもいた。1960~70年代、東京に活動の拠点を置いていた頃から、資生堂やパルコなどのキャンペーンを手がけて売れっ子となり、渡米後もグラミーやアカデミーを受賞した人の言葉と考えると意外にも思えるが、それは偽らざる本音のようだった。
「線香花火のように若いときにぱっと華やかに生きて散るのもいいけど、まあ私は長距離ランナーを選ぼうって思ったのね。それが70代になったなんて嘘みたい。まだ25歳ぐらいの心境でやっていて、毎日走っているわけだから。私の人生にはゆったりした時間というものはなく、走りながら考えようっていうスタイルでしょう? 昨日と今日と明日しかないんです。
そのくらいのレンジでしか自分を見つめられないし、考えられないんだけれど、毎日のベストを尽くすことで次に発展してきた感覚がある。だから齢をとるなんて考えたくもないですね。そのスタイルで無限に仕事を続けていきたいわけだから」
そう語ったあとのひと言が、忘れがたい強烈な何かを私に残すことになった。
「すべてが試みの途中ね」
試みの途中――日本の広告史上に輝く数々のポスター、「MISHIMA」「ドラキュラ」「ザ・セル」といった映画だけでなく、オペラからサーカスまでの幅広さで手がけたセットやコスチューム、北京オリンピックの開会式で世界のど肝を抜いた2万着の衣装、空前のヒット作となったミュージカル「スパイダーマン」の仕事なども、石岡にとってはたんなる通過点に過ぎないのだろうか。彼女はどこまで走り続けるつもりなのだろう?
今日という時を生きながら、表現によってそれを超えようとするアーティストの深い業のようなものが、その言葉から垣間見えた。石岡はデザイナーをアスリートにたとえたが、彼らはみずからのピークが過ぎたと悟れば現役をリタイアする。しかし、みずからの生命そのものをクリエイションに捧げたクリエイターに「引退」の2文字はない。