EIKOTIMELESS 石岡瑛子とその時代

文・取材:河尻亨一

# 03 アートとビジネスのあいだで

letter from eiko

再会の日は意外に早く訪れた。

2009年の年明け、石岡が東京で開催するパーティに私は招かれた。それはプライベートな新年会で、石岡の幼なじみや古くから彼女と共に仕事をしてきた人々が一堂に介して彼女を囲む、そういった趣旨のものだったと記憶している。本来、私などはそこへのパスが出るわけがないのだが、直近の1年に石岡と初めて関わりを持った人でも、彼女が頑張りを認めた何人かは参加資格があるのだという。

会場である代官山の瀟洒なレストランには30名くらいの人々が集った。知らない人同士でも、世代や性別、社会的ポジションが違っていても話が弾む、気持ちのいいオープンな空気がそこにはあった。

前半は自由な歓談タイムだが、後半は石岡を中心に参加者が円座を作って会話を楽しむ、そんな時間となった。常に多忙のため、年にそう何度も日本に戻ることができない石岡が、故郷の仲間たちを前に近況を報告し、集ったゲストも最近の出来事について自由に語るスペシャルコーナーだ。

ゲストの紹介や話題の振りといった司会役も石岡が務める。世界中の制作チームや職人たちを率いてきたアートディレクターだけに当然と言えるが、石岡は場の仕切りがかなり巧みで、ジョークさえもテンポよく散りばめながら会をさらに盛り上げていた。長期間におよんだ北京オリンピックの仕事が終わって、ホッとしていたところもあるかもしれない。

宴もたけなわとなった頃、石岡はひとつの質問をゲストたちに投げかけ意見を求めた。「いまNHKの『プロフェッショナル』という番組から出演の依頼が来ているのだけれど、それはどんな番組なの? 引き受けようかどうかと思っているのだけれど」

世間の評判などではなく身近な人たちから意見を求め、ジャッジするのが石岡瑛子の仕事の流儀である。

幾人かの人が感想を聞かれたが、その番組を知らない人も多い。アルコールも入っていたせいか、私は思いきって挙手した。「瑛子さんが満足のいくクオリティになるかどうかはわからないが、引き受けたほうがよいと思います」と言った。

それには理由がある。私は高校時代に「アカデミー賞受賞」という快挙のニュースで石岡瑛子の名を知った。私より上の世代なら、資生堂やパルコの仕事、そして彼女が活動の拠点をニューヨークに移してからの活躍ぶりも鮮やかに記憶している。

しかし、私より下の世代となるとどうだろう? 北京オリンピックの開会式の衣裳については彼女の名前を紹介したメディアも多かったが、オリンピックはあくまでスポーツの祭典であり、扱いがそれほど大きかったとは言いがたい。

インターネットの普及に伴い激変する世界のメディア状況の中で、日本では石岡の情報に接する機会は少なくなっている。そうなると、新しい挑戦を続けているのに“過去の人”という見られ方さえされかねない。それは残念だと私個人は感じている。

だが「プロフェッショナル」なら、将来は海外で仕事をしたいと思っていたり、表現の道を志して試行錯誤をしている若い世代が目にするかもしれない。なにかと夢のない話が多い世の中ではあるが、何かに挑戦する意欲がある人たちを勇気づける存在として、石岡瑛子ほどうってつけの人物はいない――という趣旨のことを述べた。

石岡は「ふうん」という表情で聞いていた。

彼女は驚くほど筆まめな人だ。2009年の新年パーティのあと葉書をもらった。そこには次のように綴られていた。

「今、スパイダーマンとターセムの次回作のハリウッド映画とグレースジョーンズのアメリカツアーと3つのプロジェクトが重なってクレージーな日々です」

これはふつう70代の人がこなす仕事の量ではないと思う。その作業の合間をぬって新年会参加の人たちに直筆の手紙まで送っているとは…。「クレージーな日々」という言い方がまさにピッタリくる。

それにしても「プロフェッショナル」の出演はどうなったのだろう? と気になった。

石岡は自身のメディア露出を慎重に考えていそうだった。まず「そんなことをしている時間がない」と言ってもいた。生涯のトータルではかなりのボリュームになる取材を受けているが、過去において掲載内容に残念な思いをしたケースもあったのではないかと推察する。

日本で活動していた頃は、「女なのに」あるいは「女だから」という視点で決めてかかろうとする取材、渡米後は「日本人だから」あるいは「日本人なのに」というアングルから切り取ろうとする取材を彼女は嫌った。

フォーカスされるべきは石岡瑛子という生身のクリエイター自身、つまり「私」なのである。その一方で、自分がヘンに神格化されるような取り上げ方も「ごめんこうむりたい」と思っていた。盲目的で熱烈な“信者”や勘違いしている“とりまき”も好きではないのだ。

月刊誌のような紙媒体なら、のちほど発言内容やレイアウトをチェックして手を入れられるケースが多い。それもなかなかの労力だが、まだしも発言側のコントロールが可能な世界であり、記事の中に本人の考え方や視点を反映させることもできる。

しかし、テレビはどうか? 「よりわかりやすく派手に」が重視されるメディアだ。番組の編集に立ち会うことも難しいだろうから、画やコメントのどういった部分が使われるのか、ふつうは本人にもわからない。しかも紙媒体やウェブに比べて影響力が圧倒的にでかい。一度流れてしまえばものすごい数の人に見られてしまう。

NHKというブランドにはそれなりの信頼を置いていたとしても、その番組が日本でどういった評価を受けているのか? どれくらいの密度で取材対象に迫れているのか? といったことを身近な人たちからヒアリングしたくて、新年会であの問いを投げたのだと思う。

だが石岡は、自分の創作のプロセスやエピソード、アイデアのきっかけなどを神秘のベールに包んでおきたいという、ケチくさいタイプのアーティストではなかった。むしろ伝えたいことは無尽蔵にあり、創作や思考のエッセンスをキチンと届けられそうだと判断したときは、時間さえ取れれば「いくらでも話してあげるわよ」という人だったと思う。

そもそも彼女は広告のアートディレクターとして日本で活躍し、その後、本場アメリカのエンターテインメントビジネスの世界に飛び込み、数々の修羅場をかいくぐってきた人だ。マス・ミニを問わず、各メディアの特性やそれぞれのパワーを知り抜いていただろう。

そして石岡は、彼女自身の言葉で言うところの「アートとコマースのマレッジ(芸術と商業の合体)」を掲げ、ファインアートとは一線を画した場所で表現の仕事をしてきた。

ブロードウェイミュージカル「SPIDER-MAN:Turn Off the Dark」は、彼女が志向した“アート×コマース”のど真ん中にある作品である。ニューヨークでのインタビューで、このミュージカルについて彼女はこう話した。

「ブロードウェイのミュージカルは、私、初めてやるんですけど、客層が圧倒的にファミリーや観光客なんですね。言うなれば大衆文化で、大衆にウケなければビジネスはこける。そこが一番難しいんですよ。

昔から私が言ってる“アートとコマースのマレッジ”というのはそういうことで、それを放棄するアーティストってすごく多いと思うんです。もうやってられないから芸術のほうに行っちゃうよ、とか、逆に食べられないからアートどころじゃないよ、といった感じでね。

でも、私はそれは絶対したくない。本質的にそこにこだわっているんです。特殊で限られた気取ったサロンの観客は嫌いなの。たくさんの人たちに『ワオ!』って喜んでもらいたいという思いがある」

「スパイダーマン」は製作にブロードウェイ史上最高額となる7500万ドル(1ドル=100円換算で約75億円)を費やしたミュージカル。ドラマとサーカスとオペラが合体したかのような前代未聞のこのお芝居を、石岡自身は「法外にお騒がせなプロジェクト」と形容していた。制作作業は難航に難航を極めたという。

音楽プロデューサーにU2のボノ、演出に「ライオン・キング」で知られるジュリー・テイモア、そしてコスチュームに石岡瑛子。カッティングエッジな著名アーティストらがメインのクリエイティブチームとして名を連ね、まさに鳴りもの入りでスタートしたのだが、いくたびかの制作スケジュールの遅延、俳優のけがなどトラブルに見舞われ続けた。

製作のマーヴェル社が、大物プロデューサーのトニー・アダムスを迎えてミュージカル化の告知をしたのが2002年。しかしアダムスは2005年、クリエイティブチームとの契約に臨んだその場で心臓発作をおこし、2日後に亡くなってしまう。

当初は2010年秋にオープニングを迎える予定だったが、プレスや関係者に向けたプレ公演でもアクシデントが続出、公開が二度延期となる。翌年6月の本公開が迫った段階になって監督のジュリー・テイモアが降板するといった“一大事”まで生じていた。

「ジュリー・テイモアは大人の深い話が好きな人だから、どうしてもストーリーが高級なものになってしまう。最初から最後までめくるめくビジュアルの世界ですごいんだけど、話があっち行ったりこっち行ったりになっちゃって、『この演出では観客がなんだかわからない、もっと話がわかるようにしてほしい』という意見が毎日のように出ていたのね。

私はジュリー・テイモアの毒とか暗さとか悩みが好きだから、悪役なんかはノリにノッてデザインしたんだけれど、ある日空港で『ニューヨーク・タイムズ』を買って開いてみたところ……『オー・マイ・ガーッ!』ですよ。ジュリーがクビになって新しい演出家が入ったと。噂になるのをおそれて内輪にも知らせなかったのね。映画だとそういうことはしょっちゅうあるけど、改めて私、厳しい世界でよく生き残ってきてるよなあと自分で感動したわよね」

ジュリー・テイモアが声がけをした何名かのアーティストもこの段階で現場を離れたが、石岡自身はサバイブした。とてつもない幸運さと生命力だ。それが鍛え抜かれた長距離ランナーの底力というものなのかもしれない。

「自分の成し遂げたい表現をやるんだけども、自分の考え方をごり押しする方向じゃなくて、やっぱりほかの人たちも巻きこむ。フレキシブルにしなきゃならないところはフレキシブルにする。そうしないと、大きなシステムの中で、最後に自分がウィナーになることはできないですよね」

私は2011年の6月、つまりこのインタビューの前日にフォックスウッド劇場で「スパイダーマン」を観た。すごい迫力のワイヤーアクションとダンス、舞台セット、そして衣裳だった。6人の悪役がステージ上にそろい踏みをするシーンではゾクゾクした。全身に仕込まれた怜悧な刃でヒロインを切り刻もうとする、スイス・ミス(Swiss Miss)という悪女のモンスターは、原作にない石岡のオリジナルキャラクターである。


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※上の画像のリンクよりオフィシャルトレイラーを視聴いただけます。


まさに全身が喜ぶエンタテインメントだった。摩天楼のビルの谷間に巣くう邪悪な欲望、その正体に迫りきれないジャーナリズム。そういった都市生活のフラストレーションを解消する闇のヒーローとしてのスパイダーマン(昼間は新聞社のカメラマン見習い)が、世界中で愛されている理由が本場NYで観て初めてわかった気さえした。しかし、シナリオとしては特にどうということもない恋愛ドラマでもあった。

ストーリーをわかりやすく万人向けに仕立てなおすことで、「スパイダーマン」は興行成績も期待できるスカッとした仕上がりとなった。やっと本公演にまでこぎつけたことに石岡自身も満足しているようだった。

だが石岡やジュリーが大いに気に入り、コスチュームも特に念入りに詰めていた蜘蛛の女神たちの登場するシーンが丸ごとカットされるなど、演出家とのコラボレーションから生まれた執念のデザインは容赦なく捨てられていった。そして「ライオンキング」ほどのロングヒットとなることはなく、ブロードウェイでの公演は2014年に終了した。

このミュージカルに取り組む石岡に密着ドキュメントした番組「プロフェッショナル」には、貴重な劇場未公開シーンも収められている。

石岡はNHKのテレビ番組出演を受けることにしたのだ。初オンエアは2011年の2月だった。あのパーティからすでに2年近くが経過していた。

次回記事は3月3日(火)に公開の予定です。