EIKOTIMELESS 石岡瑛子とその時代

文・取材:河尻亨一

# 09 “カワイイ瑛子”と“おっかない瑛子”

東急百貨店(1989/ggg books「EIKO ISHIOKA」より)ポスター・包装紙・ロゴマーク 東急百貨店ポスター・包装紙・ロゴマーク(1989/ggg books「EIKO ISHIOKA」より)


――石岡さんは厳しい人、場合によってはコワい人という語られ方をすることも多いと思いますが、伊藤さんから見てどんな方でしたか。

みんな、よくコワいって言いますけれど、そういう感情ではないです。私にとってはね。なにしろ常に一生懸命。嘘がないというか。質問したことに対しては、ちゃんと答えてくれますし。コワいというより、むしろ、かわいい、ですよね。あるときボーイフレンドのことを聞いたら、そこにあったクッションで顔をこうやって隠して、なんか答えて、パタンとソファにうつ伏せになったんですよ。もうすごく照れちゃって。そういう人ですよね。

瑛子さんはね、男性的な面もたくさんあるんですけど、ところどころ、ぽこっと急にかわいいものとかも好きで。東急のリニューアルのときのロゴを彼女がデザインして、ポスターも何枚か作ることになったんです。そのときスタイリングを私が担当したんですけど。

準備のときに、いろんなグッズをアシスタントに言って集めてもらったら、そのなかにアンパンマンが入っていたんですね。そしたらそれを見た瑛子さんが、「それ、かわいいから、衣装に付けて使ったらどうかな?」って。私は「いや、コレはダメですよ!」って言ったのね。

私はそのとき気づかなかったんですけど、あとでアシスタントに聞いたら、そのキャラクターをすごく残念そうにじーっと握って見てたらしくって。悪かったなぁと。そういうところもありましたね。まあ、みんながコワがるっていうのも、思い当たる節があるんですけど。

――そのお話も聞かせていただきたいです。

私が資生堂ギャラリーで「更紗 SARAÇA VISION」という展覧会をやったことがあるんです(2003年)。その頃は自分のなかにいろんな思いがあって、自分自身の生命というものにも疑問を感じている時期でしたから、これは私としては初めて世の中に自分の信じることを問うてみようという思いで取り組んだものなんですね。

SARAÇA VISION 更紗 SARAÇA VISION(2003)

saraca4 更紗 SARAÇA VISION(2003)
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なので瑛子さんにも見てもらいたいなという気持ちがありました。そのときちょうど、瑛子さんがいま日本にいるらしいと誰かから聞いたんです。それで電話したんですよ。

そしたら瑛子さん、「見に行く」って言ってくださったんです。でも、約束の時間に現れなくて……。その日3時間空けて待ってたんですけどね。仕方なく会社に戻ったら、ギャラリーの会場の人から「大変です!」と電話が入って、瑛子さんが「伊藤さんを呼ぶように!」って言ってるみたいなんです。ようするに時間を間違えているわけ。

それで「もう来れないの?」って。私が来なくちゃ見ないって言うんです。ギャラリーの人が案内してくださるからと伝えたんですけど、「いや、さっちゃんじゃなきゃダメ‼」だと。私も予定があるからもう行けないのですけど、頑として聞かない。

そういうのも瑛子さんぽいですよね。自分を常にリスペクトしてほしい気持ちが強いというか。

――子どもみたいですね。何かに熱中すると時間もよくわからなくなってしまうところがあったんでしょうか? あと、お話をうかがってると、乙女チックな面とオレ様的な面の両方があるような気もします。

瑛子さんは自分が絶対なところがある方でしたけど、それと同時に、この職業は女性でも男性的な面を持たざるを得ない職業なんです。ともすると男性的な目でものを見て判断しちゃう。世の中からもそういうことを要求されますしね。そもそも私にだってそういう資質があるんでしょうし、習慣でさらにそうなってしまう部分もある。

あの頃もよく「女の時代」なんて言って、パルコの広告もそういう視点から語られたりしましたよね。でも、それをやっている女たちが本当に女性目線でジャッジしていたか? というと、非常に男性目線だったと思うんです。

つまり、女性でありながら男性目線を持っていないと、男の人と拮抗しながらやっていけない時代だったと思います。特に瑛子さんは私よりひと回り上の世代だから、闘わなきゃいけないことがもっと多かったでしょう。

でも、これからはそうじゃないことに立ち返る必要があるでしょうし、それが求められるようにもなると思うんです。本当の意味での女性性ということが、すごく大事なことになっていく気がします。

ところで、前回の伊藤の話にも登場した横須賀功光(1937~2003)は、60~70年代の石岡瑛子の仕事を語るのに欠かせない写真家の一人だ。資生堂の広告写真を数多く手がけ、前田美波里のポスターも撮影した。

石岡との仕事ではないが、70年代には山口小夜子をモデルに起用したポスター(AD:中村誠)も大評判になった。80年代以降は活動の領域をさらに広げ、海外の「Vogue」誌などでも仕事をしている。日本の広告・ファッション写真史に名を留めるマエストロの一人だ。

パルコでは「モデルだって顔だけじゃダメなんだ」「裸を見るな、裸になれ」といった話題作を石岡と共作した。没後の2005年に作品集『光と鬼――横須賀功光の写真魔術』がPARCO出版より刊行されている。

雑誌「季刊デザイン」(1975年)に組まれた特集「石岡瑛子の世界」に、横須賀が寄稿した次の記事は、数多くの仕事でがっぷり組んだ人だからこそわかる、深みのある石岡瑛子レビューとなっているので紹介したい。

「石岡瑛子は、本当に、完璧主義で、明快な論理でブロックし、スマートに行動しているクリエイターなのか。

どう考えても、僕には、そう思う事は出来ない。(中略)

彼女は、自分の才能に対する不確かさから、彼女が求めている作品のイメージ、そして行動を、共同作業という行為によって、主体である自分の鏡として、客体である共同制作者をみようとする。

彼女の内部に横たわる不確かなイメージは、共同制作者との個と個のぶつかり合いから、少しずつイメージされてくるのである。彼女の制作のプロセスは、そのことにおいて、出発点から泥まみれであり、最後までその事は尾をひくことになる。(中略)

現代を思考する時、つまり、不確かさの中に、人々は、リアリティを感じるのであり、その中に身を置くことにより、同時代的な感性を得ることになる」

少し抽象的な文章ではあるが、つきつめて言うと、これは「白雪姫」みたいな話ではないか? と私は思う。
仕事で一緒になる人は、石岡にとって「私」を写す鏡でもある。石岡はそこに自分のイメージを写そうとする。しかし、そう簡単に「私」は写ってはくれない。石岡はもがきながら「この世で本当に美しいものは何?」と繰り返し己に問いなおすことになる。

自分にとって都合のよいものを写してしまう“鏡の女王”とは違うのだ。

そういった感覚は、先ほど紹介した「流行通信」の企画における創作メモひとつからも伝わってくる。そうやって泥まみれになりながら完成させた現代の“おとぎ話”が人々の共感を得たということかもしれない。

石岡の最後の仕事が、映画『白雪姫と鏡の女王』(原題『Mirror Mirror』/2012年)だったことを考えると、横須賀によるこのレビューはなおさら意味深なものにも思えてしまう。

それにしても、実際にはどのくらいの泥へのまみれ方だったのだろう? そのやり方では周りにいた人たちも泥まみれになってしまう。だれだって泥はかぶりたくない。そういう人々にとって石岡は、白雪姫どころか超ワガママな“鏡の魔女”と写ることもあった。

昔からよく言われるように、芸術家や表現活動をする人には唯我独尊タイプやアクの強い人が多い。カリスマ経営者たちと同じく、この世に存在しないものを命がけで作り出し世に問うわけであるから、そうなるのもいた仕方ない面はある。

でも、周囲にしたら困ってしまうこともある。

石岡はそういった面でもハンパない人だったと言わざるをえない。出る杭は叩かれるとよく言うが、石岡の場合その杭は、叩こうとしても屋根まで突き破り、どんと居座ってそのまま柱になってしまう。

そうした彼女のふるまいに関する数々の最強ジコチュー伝説が、ある世代以上の日本のクリエイターたちのあいだで語りつがれた。そういった噂には尾ひれもついていくためか、本人と仕事をしたこともなければ、会話を交わしたことすらない人でさえ勝手に恐怖心を抱く、ほどである。

“カワイイ石岡瑛子”と“おっかない石岡瑛子”――この両面性は、彼女を考えるにあたって重要だ。クリエイティブという行いには、その矛盾が必然だからだ。