文・取材:河尻亨一
# 14 EIKO GALLERY 1960 − 1980(アートワーク集)
日本での石岡瑛子の活動は「資生堂とパルコ」のイメージが強いが、企業のポスター以外にもさまざまな作品を発表している。レコードジャケットのデザインから新聞・雑誌連載のイラストレーションなど、いまでは見ることが難しいものも多い。
そこで今回は、第1章でカバーしきれなかった石岡瑛子のアートワークを時系列で追ってみたい。角川書店の雑誌「野性時代」など、エディトリアルデザインの仕事に関しては4章で改めて触れる予定だ。
ともに日宣美受賞作。「バッハ オルガン曲集」のレコードジャケット(左/1963年)、ミラノトリエンナーレのポスター(右/1964年)を想定して制作。
日宣美グランプリ作(1965年)。1章冒頭でも触れたが女性初の最高賞受賞ということでも話題をさらった。当時、日本最大のデザインコンクールであった日宣美という団体は(1951年設立、1970年まで存続)、若手の登竜門でもあり、応募のシーズンになると多くのデザイナーたちがエントリーのための作品制作に没頭、業務時間内であってもそれを黙認する会社もあったという。
最盛期の60年代には毎年3000〜4000を超える作品がエントリーされ、入賞のハードルは極めて高かった。
詳しくはコチラ→ #5 デザインがギンギラだった頃
1966年に草月会館で開催されたアニメーション・フェスティバルのポスター。「シンポジウム・現代の発見」シリーズにも登場する球体が描かれている。
「Power Now」は日本画廊で行われた「反戦と解放」と題した展覧会のために制作されたポスター。石岡自身は「怒りの象徴ともいうべき握り拳、実は人間の肉体である。ファインアーティストのタブローのように、きわめて個人的な主張を視覚化したポスターである」と語っている。写真は横須賀功光、コピーは小池一子によるもの。
「Yes No」は黒く力強い「Power Now」とは対照的な印象だが、自分の意志をハッキリさせない人々への石岡瑛子流の批評なのだろうか? 日本でもベトナム反戦運動が巻き起こった頃、1968年に制作された2つの作品。
雑誌「季刊写真映像」に26ページにわたって発表されたアートワーク「SIGHTSEEING」の中の1点(1970年)。
ジャズピアニスト・チックコリアのアルバム「CIRCLE “Live in Germany”」「CIRCLE “gathering”」のジャケット(1971年)。
雑誌「話の特集」に連載されたイラストシリーズ(1972〜1974年)。
黛敏郎「曼荼羅交響曲」ほかを収録したレコード(左/1970年)とジャック・ディジョネットによるジャズトリオのレコード(右/1972年)。
日本デザインコミッティ主催の「デザインフォーラム73」に出品されたポスター(1973年)。
1974年の夏、軽井沢で開かれた現代音楽祭のためのポスター。その制作意図について、石岡は次のように記している。
「人間の肉体の中で、お尻の曲線こそは、完璧な楕円曲線から成り立っているに違いないと信じ込んでいる私は、スタッフのひとりを古本屋に送り込んで、お尻探しに専念させた。いろいろなお尻を満載した雑誌がどっさり持ち込まれ、異様な風景となった仕事場で、私たちは完璧な楕円曲線を持つお尻探しに熱中した。
その結果、イメージどおりの見事なお尻を見つけだし、そこに楕円定規をあててみると、まさに60度ぴったりというわけで、この桃のようにみえるフォルムの3分の2は、見つけだしたお尻をそのまま全く手を加えずに使ったもので、残りの3分の1はエアーブラッシで、描写し完成したものである。(中略)
難しい理論武装を背景に創造される現代音楽のコンサートに出かけていくと、私はしばしば途中でその堅苦しさに、あくびをかみころしながら耐え忍ぶことになり、お尻とお尻の出会いこそが、最も哲学的かつ知的な表現行為につながるのではないかなどと真面目に考えてしまうのである」(『EIKO by EIKO』)
「グラフィックイメージ74展」に出品されたポスターシリーズのうち2点(1974年)。ここでも「NEW MUSIC MEDIA」のお尻がお目見えしている。前出の「SIGHTSEEING」や「HOLIDAY」もそうだが、この時期の石岡瑛子はちょっと“尻フェチ”と化していたようだ。60年代に見られる球や円の抽象的モチーフが、70年代に入るとよりリアルな身体的モチーフに発展していったのだろうか。
「第10回 東京国際版画ビエンナーレ」(国立近代美術館)の告知ポスター(1976年)。
「このたぐいの国際展というと、たいていの作品は、肩をいからせて参加してくることが予想された。
そこで私は、ポスターの場を使って、国際版画ビエンナーレ展に参加してみようと考えた。
それには、私なりのたっぷりした遊びがあった表現がいい。
“そんなに難しく力まないで。たかがアートではありませんか”と語りかけられれば成功だ。
アイデアは出来るだけさりげない、たとえば、道端にころがっている石ころ程度の素材で、創りあげてみたい、と考えながら、その日外出に履いていく靴をあれこれと物色しているうちに、ふっとフォーカスが決まった。
私は、いちばん気に入っているアールデコ時代のアンティークの靴を一足ぶらさげて、近くのカラーゼロックス店を訪れた。そして、それを機械の上にポーンと放り出し、あっという間に私の版画作品を実現したのである」(『EIKO by EIKO』)
読売新聞に連載された「都市の肖像学」(著・長田弘)に寄せたイラストシリーズ(1977年)。